メッセージ
「入学するきっかけ」「入学する時の不安」「入学して自分がどのように変化したか」など先輩方からのメッセージを皆さんのこれからのために是非参考にしてください。

活躍する卒業生

サトウ食品(株)ミートショップサトウ 片岡 健一 店長 (総合養成科27期生、平成3年度)

◆ メンチカツで毎日行列ができる店 ◆

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JR中央線吉祥寺駅北口、サンロードと並ぶ吉祥寺のアーケード商店街のダイヤ街(東急チェリーナード、ローズナード)をしばらく行くと、右手に伊勢丹へと続く広場のような道がある。道の真ん中に長い行列ができている。その行列の先にミートショップサトウがある。毎日11時30分から売られる和牛肉のメンチカツを求める人たちの行列で、1日3000個売れる。この行列は片岡健一さんが店長になる前から、もう10年以上続いている。1個180円を5個以上買えば1個140円に値引きしていることもあるが、それ以上に「ここのメンチを食べたら他のは食べられないわよ」と行列の主婦がいうように「格別のおいしさ」にある。

おいしさの秘訣は一言でいえば「熟成させた和牛肉を使っている」からだ。

サトウ食品(東京北区赤羽)の佐藤健一社長は「日本の牛肉は世界一のメインデッシュ」だと誇って良いとの信念を持っており、松阪を中心とする三重の和牛をメインに、東京の築地や銀座に「ステーキ・しゃぶしゃぶ・すきやきの店」を経営し、外国人からも高い評価を得ており、海外からのリピーターも少なくないという。

佐藤社長をはじめとする専門家の厳しい目で選ばれた和牛肉が、吉祥寺のミートショップサトウでは販売されている。ショーケースをみると豚肉も多少はあるが、ほとんどが和牛肉だ。

吉祥寺の店がオープンして今年で35年になる。「バブルが弾けるまでは精肉中心だった」が、バブル崩壊後、和牛肉の需要が減ってきたときに、かつて一時やっていたことのある惣菜をもう一度やってみようということになり、メンチカツやコロッケを始めたのだという。

材料となる肉や野菜は全て国産品を使用している。

◆ メンチカツで毎日行列ができる店 ◆

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片岡さんの実家は茨城県で精肉店を営んでいる。長男だが店を継ぐつもりはなかったという。だが高校を卒業後に大学に進学する意思はなかったが「やりたいこともとくになかった」。そんな片岡さんを見ていたお父さんが「“ペン”を持って仕事をするのか、“包丁”を持って仕事をするのか」どちらだと聞いてきた。事務職はできないと思っていた片岡さんは思わず「包丁」と答えていた。

それなら全国食肉学校に入って「とりあえず1年間勉強してこい。卒業後は好きにしていい」といわれ、平成3年度27期生として入学する。肉屋の息子だけれども中高校時代は部活が忙しく、店の手伝いをしたことがないので「肉のことは知らない、素人」だったので、最初は劣等感があった。

だが、寮生活をするうちに「自分は人と接することが好きだ」ということに気づいたという。そして「どうせ始めたことだから、デッカクなりたい」という思いが強くなり、みんなに負けないように勉強した。

◆ 技術は買ってくれるお客さんのもの ◆

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卒業後は、全国食肉学校の校外実習カリキュラムによる3か月研修を受けたサトウ食品に入社する。最初に就いた仕事は肉を売ることだった。サトウ食品では、全国食肉学校の教育指定店として現在も研修生を受け入れているが、店頭で販売することを中心に教育する。片岡さんが最初に「肉を切ったのは入社して5年過ぎてからだった」という。

サトウ食品は全国食肉学校の卒業生を数多く採用しているが「売りばかりでつまらない」と退社していった人もいる。なぜ学校で食肉の製造技術を学んできた人に「売りばかり」させるのか?

今では片岡さんは「どんなにカットが上手くても、売れなければ次の品物を切れないでしよう」「商売は売ってなんぼ」です。「学校で学んできた技術は、何のための、誰のための技術かというと、買ってくれるお客さんのためのもの」だと言い切ることができる。

入社当時はそのことが分からなかった。佐藤社長に教育され、現場で経験して「売ることの大切さ」がよく分かったのだという。技術は経験を積めば上手くなるが、「売るにはセンスやハートが大事」だがセンスとかハートは「教えられるものではなく、個人個人が内に持っているもの」だから「その良い部分を引き出してあげる」ことが、店長としての役割だと片岡さんは考えるようになっている。

佐藤社長は「不器用でも売ることを経験して長く続いた人は、会社を辞めて故郷に帰ってから店を始めて成功している」という。実家が食肉関係の仕事をしていたり、いずれ自分で店を持ちたいという夢を抱いて全国食肉学校に入り、卒業後はサトウ食品などに入社して実践の経験を積み、独立する人は多い。成功する人や思ったようにいかない人がでてくるが、商売の基本である「売り」「センスとハート」を養うことをしっかり身につけた人は成功する可能性が大きいということだろう。

◆ お客さんが食べて「美味しかった」といってくれるまでが仕事 ◆

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「肉を売る」ところは、量販店や食品スーパー・生協などさまざまある。そうしたなかで和牛肉専門店であるミートショップサトウはどういう売り方をしているのだろうか。

例えば、カレーを作りたいお客さんがいる。「カレー用はこれです」と渡したのではスーパーのパックされた肉の販売と同じだ。「そのお客さんはどういうカレーを作りたいのか」「肉は牛がいいのか豚なのか」「ゴロッとした肉の塊があった方がいいのか薄切りが好みか」さらに「長時間煮込むのか、それほど煮込まないのか」。そうしたことを聞き、それにあった肉を提供する。「それが専門店の仕事」と片岡さんはいう。

単なる「売り買い」ではなくお客さんのニーズに合わせて「喜んでもらう」ことが「専門店の仕事」だということだ。そのために、同じ有名産地の牛でも「1頭1頭違う」からカットしながらこれはステーキにしようとか、ここはすき焼き用にとか考えている。「肉を切って、お客さんが口に入れ、胃袋に入り“ああ、美味しかったね”というところまでフォローするのが自分の仕事」であり、それが「売ること」だという。

お客さんから「美味しかった」といわれることが一番嬉しいし、「美味しい肉が家庭に楽しい空間をつくり、幸せな気分になって欲しい」というのが片岡さんの願いだ。

そうした肉へのこだわりとかポリシーをもっていることが、吉祥寺というシビアーなマーケットでサトウ食品が35年間成功してきた秘訣だろう。

これからの夢はと聞くと、しばらく考えたあと片岡さんは「サトウのブランドをつけたい」という。有名産地であっても1頭1頭違う。そのなかからサトウ食品が選んだ牛だから、産地ブランドではなく「サトウ」のブランドにしたいということだ。

肉にこだわり、専門店として生き抜いてきた佐藤社長以下サトウ食品の社員の誇りと自信の表れだといえるだろう。

(株)上州ミート 五十嵐勝治 取締役部長 (総合養成科30期生、平成6年度)

◆ 県内屈指の食肉流通会社 ◆

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群馬県庁から渋川方面へ国道17号線を北上し、利根川の河川敷に広がる前橋を代表する敷島公園の入り口をすぎて右折すると、すぐに「肉のデパート 上州ミート」という赤い文字が目に飛び込んでくる。(株)上州ミートの本店だ。店内に入ると正面左手に野菜コーナーがあり、その奥はテナントの酒コーナー。右手の壁に沿って揚げたてのコロッケやトンカツの香ばしい香りがただよう惣菜コーナーがある。入り口からほぼ対角線上にある奥が精肉のコーナーで、その前に低いショーケースが置かれ肉類の冷凍品や加工品が並べられている。

五十嵐部長は、この会社の社長で「食肉問屋一筋に40年」という五十嵐修さんの次男で、精肉部門の責任者だ。上州ミートは、精肉部門が本店を含めて2店舗、お兄さんが責任者の「焼肉乃上州」を5店舗、弟さんが責任者の担々麺と陳麻飯の「陳麻家」を2店舗、さらに冷凍コロッケなどの冷食を製造する子会社をそれぞれ県内に展開する群馬県屈指の食肉流通会社である。

◆ 現場では分からない知識を体系的に学習 ◆

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五十嵐さんは学校卒業と同時に、当然のように父親の店で働き出した。食肉に触れ、カット技術の一面は自然に身につくが、それだけでは限界がある。食肉についてもう少し体系的に学んでみたいと考え、平成6年度に全国食肉学校の総合養成科に入学したのだという。5年が経ち21歳になっていた。

「肉について教科書で勉強するのは初めてだった」が、「現場経験だけでは分からない知識の蓄積とともに、食肉の細かいことまで理解できるようになった」という。店で毎日肉に触れていても「肉をただ漫然と切っているだけ」で、知識も断片的なものばかりで、なかなか体系的に理解することは難しい。学校では技術と知識を一から体系的に教えてもらえるので、現場で得た知識や疑問も体系だって整理できたという。

◆ 幅広い品揃えで多様な顧客ニーズに応える ◆

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上州ミートの仕事は、店舗での販売だけではなく、卸としての仕事もある。例えば学校給食がある。毎月、決められたメニューにしたがって必要な食肉類を納入するのだが、入札なので「価格はキツイ」けれど、落札できれば数量はそこそこ出るという。その他弁当屋さんにも卸している。

もちろんお兄さんの焼肉店や弟さんの中華料理店に卸すのも大事な仕事だ。

本店の店内をみていると、牛・豚・鶏の精肉の他にも実にいろいろな商品が並べられている。

冷凍の鶏のもみじ(足)やガラ、生肉の豚足やガツ(豚の胃)、牛ミノ(牛の第1胃)、豚ハラミ(横隔膜の背中側の部位)など、普通の精肉店や食品スーパーではなかなかお目にかかれない部位がさまざまに加工されて置かれている。さらに、子会社で作られている冷凍のコロッケやメンチカツなどもある。

上州ミートは、精肉からこうした各種の部位の加工品まで幅広い品揃えをしている「肉のデパート」だから、一般家庭の他、小料理屋とか小さな居酒屋など近隣の飲食店からのお客も多い。

精肉では「上州黒毛和牛」の味・品質を「吟味して熟成させた」ものを「どこよりも安く提供している」という。いまお客さんは安全・安心志向なので、豚も含めて「なるべく群馬県産で品揃えしている」という。しかし、「和牛を求める人もいるけれど、安い肉をという人もいる」。そうした多様なニーズに応えていこうと五十嵐部長は考えている。

群馬県産の他は国産を中心に品揃えはしていくが、「輸入肉でも美味しい肉はある」のだから、安全性などを確認したうえで、輸入肉で品揃えしているものもある。そのことでさまざまなお客のニーズにも応えることができている。

◆ 地元の人が屋外バーベキューでまとめ買いも ◆

冒頭に触れたように、本店には野菜・果物から惣菜各種調味料類そして酒類まで売られている。魚以外はすべて揃えられる小型食品スーパーという趣だ。昔は肉だけだったが、「お客さんの要望に応えてきたらこうなってしまった」と五十嵐さんはいう。

五十嵐さんと話をしていると「お客さんの視点に立って考えている」ということが印象に残る。そのお客目線から生まれたのが「バーベキュー用鉄板の貸し出し」だ。近隣には敷島公園や利根川河川敷があり、春になると仲間が集まって屋外でバーベキューをする人が多い。

鉄板を貸し出すことで、精肉や串刺しにした肉や加工品そして野菜、酒類とすべてをこの店でまとめ買いすることになる。店の入口にはバーベキュー用の炭が積まれていて「これもけっこう売れるんですよ」と五十嵐さん。

これからも地元の食肉を中心に、お客さんのニーズに応えた店作りをしていきたいという。

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◆ 学校での貴重な時間を大切に ◆

最後に、後輩へのメッセージとして、「職場に入ると日々の作業などでなかなか勉強することが難しくなるので、体系的に学べるいい機会だと思って学んだ方がいい。1年間は長いようだけれど、卒業してからの長い人生で、学んだことが役に立つのだから、貴重な時間だといえる。その時間を大切にして欲しい」と語ってくれた。

(株)弘(京の焼肉処) 西田哲也 社長 (食肉店舗科1期生、平成2年度)

◆ 業界標準にとらわれない独自メニューを開発 ◆

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千本通りから堀川通りまで、京都で一番長いアーケード商店街という「京都三条会商店街」に「京の焼肉処 弘」の本店がある。商店街の千本通り側の入り口には、ご両親やお兄さんが経営する精肉店「ミートショップ ヒロ」があり、終日多くの買い物客で賑わっている。

西田社長もこの店で小さい頃から食肉に親しんで育ち、大人になったら「食肉関係の事業をやりたい」と考えていた。だから平成2年に大学を卒業してすぐに全国食肉学校の食肉販売科(当時は、食肉店舗科)に入学したのだという。

「食肉店舗科」は、食肉小売店やスーパーマーケットなどの食肉部門の専門家、MDの養成、営業部門で活躍しようとする人を対象に、この年に新設された3か月半のコースだ。

全国食肉学校で得たものは、部位の特徴や商品化の技術を体系的に学んだことだ。とくに焼肉店を経営するようになってからは、「部位ごとの特徴を引き出す技術とシッカリ原価計算をした商品づくりをしていく」ことが役に立った。

焼肉といえばカルビ・ロースという業界標準のメニューがあるが、それにとらわれず「適正価格で各部位を美味しく食べてもらうためには、どういうメニューづくりがよいのか、自分で考えて決めることができた」。

そのための知識と技術を修得できたということだ。

◆ 和牛をリーズナブルな価格で提供 ◆

西田社長が焼肉店を開業するのは平成9年のことだが、それまではお兄さんたちと実家の精肉店で仕事をしていた。精肉の納品先には焼肉店もあり、仕事をするかたわら「牛1頭を精肉店と協力して無駄なく使っていけば、高品質な肉をリーズナブルな価格で提供することができる」と考えた。

例えば、惣菜としてステーキ用ロース肉を精肉店で買う人はめったにいないけれど、焼肉店ならメインメニューとして売れるのではないか。1頭の牛を仕入れ、それを精肉店と焼肉店で無駄なく使えばコストが抑えられるはずだ。

当時、京都の焼肉業界は、2000円台で輸入牛肉が食べられる大型チェーンと高級和牛を8000円台で食べさせる店に分かれていた。

そこで「京都人は牛肉の品質を志向するので、良いものをリーズナブルな価格で提供すれば支持される」とそれまでの考えを実行に移し、4000円台で和牛が食べられる店を開業。

いまは京都市内に4店舗を構えるまでになった。

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◆ 誰もがA5の肉を求めているわけではない ◆

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西田社長は、「箱に詰められた肉を仕入れて売る」のではなく、「牛という生き物からお肉をわけてもらいそれを焼肉という商品にして売っている」。「肥育生産者とのつながりがあって、焼肉というサービス業が成立っている」という意識がもてたこと、そういうネットワークをもてることが、全国食肉学校のOBとしての「大きな財産」だという。

「市場の買参人ばかりではなく消費者を意識した生産者とネットワークができれば」と考えている。今後、価格面では安い輸入牛肉がいままで以上に流通するかもしれないが、国産牛肉の食文化を自分たちの手で守っていくという生産者も含めたネットワークの形成が大切であり、「サービス業として国産牛の付加価値をシッカリつけて提供することで、生産者が再生産でき、自分たちにも利益があり、消費者も満足できる」ようにしたいという。

「消費者は安いものだけを求めているわけではない。価値を認めたものにはお金を出す」。みんなが松阪牛や最高級ランクA5の肉を求めているわけではなく、高級肉だけを追求する姿勢は、消費の現場からかけ離れてしまうのではないかと危惧 している。美味しい国産牛を消費者も納得できる価格で提供できるネットワークをつくっていくことがこれからの食肉業界のあり方の1つではないかという。

全国食肉学校で得た知識のうえに、精肉店と焼肉店で培ってきた経験と見識から導き出されてきた確かな方向性のようだ。

◆ 意欲ある人が働きたいと思う会社に ◆

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最後に後輩に一言「全国食肉学校は、食肉業界の将来を担う人の育成機関です。そこで学ぶからには業界の発展のために貢献できる人になってもらいたい。そのために、学校で教えてもらうことは必ず役に立つという信念を持って、学業に専念して欲しい」と語ってくれた。

これまで全国食肉学校から多くの実習生を受け入れてきたが「意欲のある人に、『京の焼肉処 弘』で学びたいと言われるような価値ある会社にしたい。また、実習生に来てもらうことは、自社を見直すいい機会でもある」と考えている。そして実習生が「ここで働きたいと思ってくれれば嬉しいですね」と語ってくれた。

(有)いちのせ 市瀬 宏 専務 (総合養成科38期生、平成14年度)

◆ 地域が一体となって「南信州牛」の地産地消を推進 ◆

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中央アルプスと南アルプスに挟まれ、その中央を天竜川が流れる伊那谷の中心地が飯田市だ。リンゴ、モモ、ナシなどの果物の産地として有名だが、馬肉をはじめこの地方独特の「肉の文化」があると市瀬宏さん。

その一つに、昭和の初め頃から本格的にはじめられた和牛「南信州牛」の生産がある。「南信州牛」は、霜降り肉の美しさ、まろやかさ、豊かな風味そして白く粘りのある脂肪のよさが特徴で、古くから関西方面で高い評価を得ている。

いま飯田市を中心とするこの地域では、行政・生産者・小売店など流通業者そして焼肉店や料理屋などの飲食業が一体となって、この南信州牛を地元でも食べようという運動を展開している。肉の地産地消だ。その一翼を「肉のいちのせ」も担っている。

◆ いまでも仲が良い同期生 ◆

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肉屋の次男に生まれた市瀬さんが全国食肉学校に入ったのは、ちょうどBSEが発生して食肉業界が大きく揺れているときだった。そのためか同期生は12名と少ない。だが逆に「風呂も全員で入れた」というように「密な関係ができた」。同じ班(4人)だった仲間とはいまも連絡をとりあっていて、先日はそのうちの一人の結婚式にも招待された。

家が肉屋だから肉そのものには慣れていたがどの部位かまでは知らなかった。だが学校では枝肉から学ぶので「いままで触っていた肉の部位が分かり、どういう味なのかが分かった」ことや原価管理など座学で学んだことも含めて、全国食肉学校へ行ってよかったと思っているし、BSEで厳しいなかで行かせてくれた両親に感謝している。

◆ 熱々(あつあつ)を持って帰ってもらう惣菜コーナー ◆

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「肉のいちのせ」の店内を見ると、南信州牛をはじめとする牛肉、豚肉、鶏肉、馬刺そして北海道とともに飯田が元祖だというマトンの肉類に加えて、惣菜のコーナーがある。例えばコロッケなど揚げ物を見るとまだ揚げていない。なぜかと聞くと、注文を受けてから揚げ「熱々を持って帰ってもらう」のだという。揚げている間に近所に買い物に行くお客が多いという。

近所に24時間営業の全国チェーン食品スーパーがある。競合しないのか心配になる。「いちのせ」は基本的にA4以上で品揃えをしているが、スーパーは価格の安さで品揃えしており、「味の幅が大きい」ことと生産農家の訪問、枝肉を自分で見て品質を統一する、いつでも食べ頃(熟成)の肉をおいているなどの「こだわり」で棲み分けをしている。野菜などはスーパーで買い、肉は「いちのせ」でというこだわりの客層をシッカリつかまえているということだ。

店頭での販売だけではなく飲食店などへも注文を受けて配達もしている。市瀬さんのほかに、ご両親、お兄さん、いまは産休だというお姉さん、それにパート、アルバイトを加えた8人の体制だ。店以外での商売がかなりあるようだ。

◆ 地域に密着したユニークなアイディアも ◆

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その一つに、大変ユニークなものがある。鉄板とコンロの貸し出しだ。6人が囲める特注の市販のものより厚い3ミリ厚の鉄板とコンロのセットが13あり、天竜川の河原や企業の駐車場で鉄板焼きパーティーが行われ、多いときには1.5回転つまり100人くらいの利用がある。1人300g肉を食べれば30kgの売上げになる。りんごの観光農園でバスツアーの客が利用することもあるという。「こんなことは都会では考えられないでしょう」と市瀬さんは笑う。地域の実状に合わせたアイディアの勝利だといえる。

店の外、入り口の脇に棚があって野菜が置かれている。近所の農家が何でも1個100円で販売している無人販売用に店先を提供しているのだという。いまはあまりモノがないが、6~8月の収穫期だと山のように積まれ、それを目当てに来店する人も多く、店の集客にも貢献している。せっかく地元の野菜が並ぶのだから「もっと有効に活用する」ことを考えたいとも思っている。

◆ 直営の肉料理店経営が夢 ◆

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今後について市瀬さんは大きな夢をもっている。全国食肉学校のときの研修先がステーキハウスも経営していて、そこで食べたステーキの味が忘れられないのだという。だから直営で肉を食べさせる店を経営したいのだ。肉を食べさせる店が面白いのは「生肉をお客が自分で加熱して好みに合わせて食べる」ことだ。焼肉もすき焼きもしゃぶしゃぶもそうだし、ジンギスカンもそうだ。そこに何か工夫をしてやってみたいと考えている。

店は1頭買いをしているので、店と連携することで無駄なく肉をさばくこともできるだろう。また、中央と南アルプスに挟まれた地域なので昔から「山肉」がある。山肉とは、猪や鹿、熊などの肉だ。こうした肉も美味しく食べられる工夫をすることで、この地域ならではの肉料理店になる可能性もある。

店でお客さんと話しながら商売するのは楽しいという。コミュニケーションが取れるだけではなく、何かヒントをもらうことも多いからだ。そうして得たことを活かして、5年後、10年後に南信州で市瀬さんが何をしているのかを見るのが楽しみだと感じながら帰路についた。

(株)モリタ屋 吉岡浩人 社長 (本科18期生、昭和57年度)

◆ 全国の多くの人と交流できた食肉学校 ◆

京都で生まれ育ち、そして地元の立命館大学経営学部を卒業。商社入社を希望するが家業の食肉店後継者としてどうするかと思ったときに、食肉の学校があるということを知る。すぐに店に入るよりは1年間専門の学校で学んでみようと、群馬県にある全国食肉学校に入学する。

いまは学校の周囲に住宅も建ち多少はにぎやかになっているが、25年前は何もなく「週1回、農協のおばちゃんが食品・身の回り品を売りに来るのが楽しみだった」という。

京都育ちの吉岡さんには食文化がまったく違う群馬での寮生活はキツイことも多かったが、高卒の人から企業派遣の人まで幅広い人がいて、しかも全国各地から集まってくるという多様性もあり、そういう人たちと寮生活をしながら交流できたことは「得がたい良い経験」だったという。

◆ 牧場も経営し生産から消費まで責任を持つ ◆

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吉岡さんの名刺に「伝統と文化の味  京都肉」と書かれているように、モリタ屋の創業は明治維新まもない明治2年に遡る。牛肉屋「盛牛舎森田屋」として森田伊三郎氏によって開業された当時は卸売が主で、陸軍省などに牛肉を納入するのが商売の中心だったという。戦後、森田家から親交のあった吉岡宇佐美氏(故人)に経営が譲渡され今日に至っている。

吉岡さんのお父さんである先代社長・吉岡幸人さん(故人)が、「自分たちが売るものは、肥育から食べてもらうところまで責任をもってやりたい」と、昭和50年に直営牧場を設立し、和牛の特別多頭飼育を始める(後に農事法人となる)。

(株)モリタ屋の事業は、黒毛和牛の子牛生産、京都肉牛の肥育、卸売、小売業としてのクォリティフードマーケット、そしてすき焼きやしゃぶしゃぶなどを提供する飲食店部門まで、生産から消費までが一貫して事業となっている。直営牧場だけでなく全国の提携産地からも仕入てはいるが、直営店では最高級のA4・A5ランク以外は扱わないというのが、モリタ屋のポリシーとなっている。

吉岡さんは大学で経営学を学んだが、全国食肉学校へ入るまでは、それは食肉販売とは無縁なものだと思っていたという。全国食肉学校で原価計算をはじめ経営に関する数字をキチンと把握しなければ営業マンにも店長にもなれないことを知り「大学で学んだことと仕事がつながった」。

モリタ屋では昔自家と畜をしていたこともあって、内臓や枝肉の扱いには慣れていたが、カットの仕方など基本的なことを学校で幅広く教えてもらうことができたと当時を振り返る。

吉岡さんが幸人さんから社長業を引き継いだのは平成13年の9月。BSEが日本中を揺るがしている最中のことだった。「これ以上は悪くなりようがないからと先代が考えたんじゃないでしょうか」という。

それから6年。先代が築いた「生産から食べる人たちまでに責任を持つ」というモリタ屋の精神を守りながら、東京に出店するなど着々と事業を伸展させてきている。

◆ 社会と業界の常識を一致させたBSE ◆

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BSEからの6年間を振り返ると食肉業界は大きく変わったという。吉岡さんがこの業界に入った25年前には、普通では理解できないことがたくさんあった。そして「怖いことに」学校を出たての頃に「何でこんなんがまかり通るの?」と疑問に思っていたことが、5年、10年経つと、おかしいと思ったことが麻痺してくる。

だがBSE以降は、「人間として正しいことをして商売を貫いていけば生き残れるんやということが、やっと、自分の中でストンと落ちた」。つまり、業界の常識と社会の常識が一緒になったということだ。

いまは「確実に良い方向に業界は向いているから、この流れを逆流させてはいけない」。

これからも「良い素材を使って手間暇かけて、心のこもった良い接客をする」。これは「飲食に限らず商売の基本」であり、「今までもやってきたし、これからもずっとその気持ちを持って続けていく」と考えている。

◆ “美味しかったよ”の笑顔が一番嬉しい ◆

全国食肉学校の後輩たちへのメッセージをと聞くと、「食肉は奥が深く、やればやるほどおもしろい業界ですから、基本をシッカリ学んできて欲しいですね。とくに生き物の生命を犠牲にして商売が成立っていることを理解して食肉の業界に入ってきて欲しい。そうすれば偽装とか表示をごまかそうとか思わないでしょう」と語ってくれた。

モリタ屋は全国食肉学校の教育指定店でもあり、いつも数名の研修生がいるだけではなく、社員として常に数名は卒業生がいるという。「彼らは家業の後継者が多いのでずっとはいないかもしれないけれど、前向きに何かを吸収しようとがんばっていて、いいムードメーカーになってくれています」というように、後輩への評価も高いようだ。

学校を出てから25年。辛いこともあったけれど「やりがいがあり後悔する間もなっかた」という。そしてお客さんから「“美味しかったよ”と笑顔を返してもらうときが商売をやっていて一番嬉しいとき」。だからこれからも美味しいと喜んでもらえるような仕事をしていきたいと結んだ。

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